議論することもあるけど、言いっぱなしになっちゃうことが多い。
ブログ同士の議論とか
よく、ブログの記事に対しての言及とかを目にしますが、言及で終わっちゃって議論にならないんですよね。だから、炎上って言う話が出てくるわけでして。
結局、議論をしているのは信者同士で、記事を書いている人は言及して満足…はしているかどうかはわかりませんが、それでお話は終わっているんです。それが最近の傾向みたいですね。
昔は会って話し合いとかしたんですよ
実はネット上で議論したことは何度かあって
「もうめんどくさいから、会って話しちゃおう」
なんていって、飲みながら議論をするなんてことがあったんですよ。そんなのを見ているので、当人同士は話がついていて、周りが勝手に議論していることを、当人たちが見ているなんてことも多く見受けられました。
では、なぜに言いっぱなしになっちゃってるって思うのか。
こう意見があるんだ
↓
いや、これが真実だろう? ←最近はここで終わり、これでおしまい
↓
でもね、これこれこういうのがあってね ←こいつがないんです
だから、言いっぱなし感が半端ないんです。
議論になってないんだもん、意見→言及でほぼほぼ終わっちゃって、もしくは意見→言及→反論で言及した側が興味を失っちゃう。
読んでくださってる方は、別のものを読みたいかもしれないけど、あっ、なんか炎上したっぽいなって思ったら、最後まで双方が落ち着くまで話し合って欲しいな。
なんて思ってるわけです。
一番いいのは炎上しないことに決まっています
炎上って一部の狂信者が起こす気がするのです。
炎上、炎上って所々で聞きますが、話を耳にするころは大炎上の頃合で、ようやく耳に入ってくるから乗り遅れる、乗り遅れたから「今いったれーうおー」って次の炎上が起こる。
こんなのが続いて、燃えさかってる。
炎上元が燃料を投下し続けることもありますけどね。
黙ってるのが一番なんですけど、記事の書き手としてではそれは出来ません。
出来ていたら、ブログなんぞ開設しなくていいわけですから。
どこかで読みましたが、「嵐みたいなもんだから、離れてみる」とかなんとか…
これも言及になっちゃいますが、離れてみるのは賛成なんです。
けど、離れたからって状況が変わると思ったら、それは違います。変わっている場合もあるでしょう、移り変わりの激しい世界ですから。
ですが、それは嵐をやり過ごしただけで、自分の身にはちっともなってないですよ。
あれ?離れる所から否定してるな…、めんどくさい、会って話そう、なんてなるわけです。
まとめ
- 言いっぱなしじゃなく、議論して欲しいなって思う。
- メールとかでのやり取りでもいい気がするんですよね。昔は会って話したりしてました。
- 会って話すのは、めんどくさがり屋の手かもしれないです。
【追記】
ブコメで意見をいただきました。
個人的には返さないことに意味があるのかなー…なんて哲学的なことを思ってますよ。そもそも自分と意見が近い人は、否定記事なんて書きませんしね。
たしかに、「返さない」って、たぶん意見が近いと言うか、人となりを知っている方なのかなって、だから同じ方向の意見だって読み取れるのではないかなと思いました。
何となく言いたいだけで意見がなかったり、落としどころがない、言い訳が続く、話がループし始める…の場合は面倒だから放置する。議論以前のケースも少なくないし、ブログで話し合いはそもそも無理だと思う。
仰られてるループが続くのであれば、議論のレベルに達してはいないですね。話し合いの場の席に座ってない感じがします。そうなったら、もう放置するしかないですからね。ブログだけでは議論は難しいのかもしれませんね。
高め合える議論ならやったほうがいいけど、批判のために批判しているものだと言及された側も議論なんてしたくないと思うのでは?炎上しているところに言及しているものは、そういう批判のための批判が多い気がする。
高めあう議論ですか、批判のための批判って、批判と捕らえるか言及と捕らえるかでまた考え方は変わってくるのかなと思います。炎上に乗っかる言及は批判のための批判が多い気がしますね。でも、ブログだけでの議論は難しいかなって思います。
意見、ありがとうございました!
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